母の日の由来

毎年5月の第2日曜日 母の日です

このブログをお読みくださっている貴方ならもうご存知かと思います

私はあるときからお正月 誕生日 ゴールデンウィーク お盆休み

クリスマス バレンタイン

そして父の日 母の日をやり過ごすという暮らしをしてきました

もう9年になります 積極的に関わる気持ちに今でもなれないのはほんとうです

ですが9年の暮らしのなかで私のこれらの日々の過ごし方というのが出来てきて

友人や子供たちと過ごしたりもちろんお祝いをする日もあります

ただ価値観はまったく変わりました

そんなやり過ごしの日々のなかで

これらの国民的行事とでもいいましょうか

由来を調べようと思いついたのは数年前

グリーフケアのことを学びだしてからです

それまでは例えば母の日

この日にはなにかを贈らなくっちゃっていう嫁の立場や娘としての慣習への義務感が

正直気持ちのほとんどを占めていたように思う

変わるなんて思いもしなかったたくさんの関係や環境が変わってしまい

慣習さえも滞るようになります 同じ母の日がまったく違う日になりました

私の暮らしの中で母の日の思い出が重くのしかかってくるのです

切り離すことも忘れることもなかったことにもできなくて

そんなころグリーフケアと出会いました

感謝の意味がわかっていなかったのもほんとうです

 

 

以下は母の日の由来で検索しwikipediaより転載します

アイルランドとイギリス[編集]

マザリングサンデイ」は移動祝日で、キリスト教暦のレント(四旬節)期間の第4日曜日(復活祭の3週間前)に祝われる。17世紀に始まったとされ、奉公中の子供が教会で母親と面会するなどの行事が行われた。

アメリカ[編集]

1916年ノーザン・パシフィック鉄道による母の日のポストカード

アメリカでは南北戦争終結直後の1870年、女性参政権運動家ジュリア・ウォード・ハウが、夫や子どもを戦場に送るのを今後絶対に拒否しようと立ち上がり「母の日宣言」(Mother’s Day Proclamation)を発した。ハウの「母の日」は、南北戦争中にウェストバージニア州で、「母の仕事の日」(Mother’s Work Days)と称して、敵味方問わず負傷兵の衛生状態を改善するために地域の女性を結束させたアン・ジャービス(Ann Jarvis)の活動にヒントを得たものだが、結局普及することはなかった。

ジャービスの死後2年経った1907年5月12日、その娘のアンナ(Anna Jarvis)は、亡き母親を偲び、母が日曜学校の教師をしていた教会で記念会をもち、白いカーネーションを贈った。これが日本やアメリカでの母の日の起源とされる[1]

アンナの母への想いに感動した人々は、母をおぼえる日の大切さを認識し、1908年5月10日に同教会に470人の生徒と母親達が集まり最初の「母の日」を祝った。アンナは参加者全員に、母親が好きであった白いカーネーションを手渡した。このことから、白いカーネーションが母の日のシンボルとなった。アンナ・ジャービスは友人たちに「母の日」を作って国中で祝うことを提案。

1914年に「母の日」はアメリカの記念日になり、5月の第2日曜日と定められた[2]

オーストラリア[編集]

オーストラリアでは、母の日は5月の第2日曜日に祝われる。 母の日に贈りものを贈る習慣は1924年シドニーLeichhardtに住むジャネット・ヘイデン(Mrs Janet Heyden)によってはじめられた[3]

彼女はニューイントン(Newington, Victoria)の州立女性老人ホームを訪ねた際に多くの孤独で”忘れられた母”たちに出会い、その女性たちをよろこばせるために地元の学校や企業の協力をとりつけ、贈り物を贈ることにした。それから毎年、彼女は贈り物の習慣の規模を少しずつ大きくして、地元企業や市長にも協力を取り付けた。以来、母の日の贈り物の習慣は商業化されていった。

伝統的に母の日にはクリサンセマム(菊の花)を贈る習慣になってる。その理由は、ちょうど母の日の季節(オーストラリアでは)に花を咲かせ見頃になるため、 また、クリサンセマム(chrysanthemum, キク属)が一般的に語尾部をとって通称 “mum”(マム)と呼ばれ、ちょうど “mum“(おかあさん)とかさなるため[要出典]。 近年では、母の日に男性は(上着ジャケットの)折り襟にキクの生花を挿してピンで留めたり、菊花を模した襟章lapel pin)をつける場合もある[要出典]

日本[編集]

母の日ギフト用にディスプレイされたカーネーションのさまざまな品種(2009年 東京銀座にて)

1913年に青山学院で、母の日礼拝が行われた。アンナ・ジャービスから青山学院にメッセージが届き、当時青山学院にいた女性宣教師たちの熱心な働きかけで、日本で「母の日」が定着していくきっかけとなったとされる。

大日本連合婦人会1931年昭和6年)に結成された。その際、同組織は皇后香淳皇后)の誕生日である3月6日地久節)を「母の日」とした[1][4]が、普及しなかった。

1937年(昭和12年)5月8日に、第1回「森永母の日大会」(森永母を讃へる会主催、母の日中央委員会協賛)が豊島園で開催された[5]。その後、1949年(昭和24年)ごろからアメリカに倣って5月の第2日曜日に行われるようになった。

母の日には、カーネーションなどを贈るのが一般的である。

なお、あまり知られていないが、5月5日のこどもの日は、祝日法2条によると「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝すること」が趣旨とされている。

 

あなたは母の日をどう過ごされますか

母の日とどのように関わりますか

あなたにとって母の日って・・・

 

いろんな母の日の過ごし方があっていいのです

 

わたしはそう思います

 

 

 

 

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母の日の由来 への3件のフィードバック

  1. Normally I do not read post on blogs, but I would like to say that this write-up very pressured me to take a
    look at and do it! Your writing style has been surprised me.
    Thank you, quite nice post.

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