聴いてくれる人に向けて 語りたい。
上っ面なら、そうでないなら 話さない。語らない。
そもそも、自分のこと語りたいひとって、ときって、
何が起きてるのか。
ただそこに居て聴いてくれるということ。のありがたさ。
でも思う。案外ひとは誰にも話さず、語らず一生を終えるのかもしれない。
そんなひと多いのかもしれない。
私だけ語りたいとは我儘なのか。
話さなければ繋がらない。なにに?
自分が。自分に。
ここまではわかっている。
さぁ。次の扉を開けます。
今回 前期終了過程における’宗教学’の課題レポートで死生観・宗教観・事例・芸術作品などから2500字以上のレポートを書く機会をいただいた。
担当の先生でいらっしゃる鎌田東二先生の最近の著書を再読し
語ることのたいせつさをあらためて教えてもらいました。
私は死生観について書きたいと思います。
死に直面したとき ひとはどのように受け止めるのか。
死はいつから始まっているのか。
死から見た生を私の経験から書いてみようと思います。
死生観に行きつくには2500字は足らないような気がしています。
扉の向こうは 案外 心地よいものです。