こんにちは 心理カウンセラーのひぐち愛峰です。
~中秋の名月に~
空にはお月さんが、秋の旬ものをすこしいただき、読書する。
ありがたいなぁと思えるひととき。
ちょっと宿題をいただき、私の言葉をみつけたくて本棚からみつけた一冊。
『唯識という生き方』自分を変える仏教の心理学
再読しています。
生きていることの不思議さ
この不思議という語は、もともと仏教用語で「考えることができない」という意味のサンスクリット語、アティンティアの漢訳で、正確には不可思議と訳され、思うことも言葉で語ることもできないという意味です。(本文抜粋)
「自分」は本当に存在するのか
静かに考えてみましょう。「存在するのは唯だ身体、唯だ心だけであって、自分の身体、自分の心と考える自分など存在しない」この事実を事実として認めるとき、大きく世界観・人生観が変わってくる。(本文抜粋)
ひとは極限までいったとき、何が起きているのだと問い進んでみると、いままで気づかなかった新しい自分と出会えるということ 答えは自分の中にあるということ
「自分」ってとても深くて不思議なすばらしい存在なんです。
言葉にできないくらい思うこともできないくらい
ただそのままを感じるだけってこと
そんな「自分」かもしれない「自分」の存在に気づいたのが仏陀
仏陀は目覚たひとのこと
存在自体、奇跡であるということを仏教は教えてくれている。
だから感謝の思いは自然と湧いてくるものなんだよね。
そして人を助けること
人のために尽くすこと
なぜこれらは善いことなのかを教えてくれる
間違ってはいけないのはその行為が外から与えられたものでなく
内から湧く思いからであること
「しなければならないことをする」ひとが自らの意思に基づいて行ったのか
それともそれを倫理道徳として外から与えられ強制で行われたのかが問題なのです。
親の介護について・・・思う。
あらためて深く近く感じながら読みすすんでます。
宿題をありがとうございます。