私のこと」カテゴリーアーカイブ

日常のこころのなかのこと ソフトボールのこと プライベートなこと

思い出す

どうしても書いておきたいことがありました。

月に2度のピアノのレッスンに通うこの頃です。

自分のリズム感のなさに泣き笑いし時には情けない気持ちになりながらも

それでも先生がとても素敵でなによりお手本に弾いてくださる音たちに癒されて昨年9月から始めたレッスンは続いています。

それはさておき 

レッスンに通う最寄りの駅出口のすぐそばに和菓子屋さんがあります。

あんこ好きの私にとって店先に並ぶ季節の和菓子を目にするのも

愉しみのひとつとなりました。レッスンが気持ちよく終えることが出来た日

また新しい指使いの課題をいただいた日 自分をほんの少し労ったり、励ましたりしてやりたいとき、なんやかんやと理由を作って「よし、今日は寄って帰ろう!」って具合です。

先日のレッスンに向かうときも速足の横眼使いで店先をチェックしました。

すると『鮎』がきれいに並んでありました。

求肥をカステラ生地に包んだ清流を泳ぐ鮎を形にした和菓子です。

季節やなぁ。と一瞬思い立ち止まるも『鮎』にはあんこが入っていない、と思い直しそのままレッスンへ歩き出しました。

そこから私の思い出の場面が交わした言葉があの時の行動が蘇ってきたのです。

「あの子好きやったなぁ」

あの頃はあんこ入ってなくても買って帰っていたことに気づく

その場面をそのままを受けとめて思い出していた。

すると一緒に大切に交わし在っていた豊かな時を知り

今の自分も豊かであると感じたのです。

悲しみの中にいるときから続いているのだと思います。

悲しいことは感じたくないや忘れてしまいたいと思うほどの時間があったのも

ほんとうです。

こんな風に思い出すことができることがとても嬉しく思いました。

辛さを伴わない記憶 体験はあのときと同じ自分なのに自分への影響が違っている。

今の自分が自分であることの実感は生きるちからになります。

これからも毎日の暮らしの中で誰かと大切に過ごした記憶は

ふと蘇るのだと思います 。

できればこれからもこんな風に思い出したいものです。

だからここに書いておきます。

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空をみよう 本を読もう ごはん食べよう

2月から3月の間はやっぱりいろんな用事や行事が重なっていた。

一先ず休憩…といきたいところだが遊びも仕事も勉強も続きそう。

日常を過ごす中で一休みすることを最近は大事にしています。

この時期の自分を励まそうと用意したチューリップ

少しずつ表情を変えて 居てくれています。

それにしても 昨日はとっても暖かい日でしたね。

こたつをなおして いっぱい洗濯をして 植物に水やりできました。

そして資料や書類をいっぱいシュレッダーにかけながら

いろいろ思案して すこし反省して

一日を過ごしました。

なんだか気持ちよい一日でした。

ではこれから療育のお仕事に行ってきます。

帰ってきたらチューリップがまた新しい表情で迎えてくれます。

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よいお年をお迎えください。

今の1年を終えようとしています。

この感覚はみなさまお一人お一人お持ちのことと思います。

時の流れは自身の覚悟を拡げてくれるようにも見えます。

自由というセリフを自身からもそして出会い知り合ったひとたちからも

問いかけられたそんな1年を振り返ります。

思えば毎年この頃に交わす よいお年をお迎えください。

それは毎回自身にとってあたりまえだがすべて違うものなのです。

今年はこの決まり文句がやけにあたたかくて沁みている私に気づきました。

...*  ...* ...* ...* ...*...*    

※こころdeらぼ 個人カウンセリング 年始は1月4日(火)からとなります。

※こころdeらぼ お話会 1月15日 1月29日 ①15:00②17:30

※こころdeらぼ 勉強会 1月22日 15:00~17:00

メールでのお問い合わせは年末年始受け付けしています。

higuchi@cocorodelabo.com こころdeらぼ 樋口

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木を見て森を見ず

新しい名刺ができあがってきた。

カウンセリングルームを開業して7年が経ちます。

ルームという概念はこの7年で変わりつつあります。

外面と内面そしてそれらを観るという視点

外面については

こころdeらぼも感染症対策という昨今の社会問題から

カウンセリングや勉強会をオンラインで実施することも試み始めました。

ご希望をいただきますクライアントへの対応です。

そして開業からルーム移転を2回経験しました。

内面について

思いを言語化するということ

個人セッション エンカウンターグループ

テーマ・主訴からナラティブに問題解決アプローチに家族療法に

カウンセリング療法を探求し続けクライアントの伴走へ務めてきました。

思いを言語化する

全てはここから始まります。

さぁ これから

木を見て森を見ず あらためて感じました。

プラットフォーム

実際の場のちからの作用から観る景色

だいじです。

2021年8月最後の日

書いておこうと思います。

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毎日 まいにち

今朝は雨が降ってきた。強めの風と共にベランダの緑に水やりをしてくれた。

部屋からガラス越しに眺める風雨は穏やかではない。

でも窓ガラスにてんてんと水しぶきがついている様はすこし気持ちを新しくしてくれる気がします。

昨日からホームページのメンテナンスでサーバーカスタマーセンターの方とメールでやりとりをしていた。いや やりとりというほどそんなたいしたことではない。いや 私にはたいしたことだった。ほんの2回の往復メールで的確に指示をくださりそして先ほど解決した。

ううむ。

年末は欲しい洋服をオンラインで選んでいたのですが わからないことがありチャットで質問をした。すると各店舗の定員さんに繫がるようになっているようで対応できるかたがチャットに繋がり応答してくださった。そして私は買い物できた。

ううむ。

どちらもとても気持ちの良い文言で丁寧に応答してくれる。

たぶん おそらく 相手はまだ人間のはず。

さて おやつを食べて 午後からの用意をするとします。

写真はこの冬の1等賞 さつまいもをトースターで焼いたやつ

ごま塩ふって珈琲といただきます。

おやつはだいじ。 

雨があがって空が明るくなってきました。

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残暑お見舞い申し上げます

今年のお盆はこれまでにない賑わいでした。

コロナ禍という状況で私にとって精神性の涵養となりました。      

旅立ったひとを懐かしみ

旅立った人を慈しみ

旅立った人と出会いなおす交流の時を過ごすことが出来ました。

迎え盆の日に向けて実際に大切な人の好きなものを用意するなかでこころの安らぎをおぼえました。

そして送り盆の日に藁で作った舟にお供え物をのせて川に流す。

友人に教わった「盆舟」

今年は川へ流すことをせずまねごとのようになりましたが

このような精霊を慈しむ風習があったこと

知る機会になりました。

たいせつなひとを想うということをあらためて感じ

こころ豊かな時間をいただけたように思います。

想いの分だけ賑やかになった

そんな今年のお盆でした。

あなたはどんな風に過ごされましたか

またおしえてくださいね。

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亡き母と出会いなおし

IMG_9039「おひとりさま」というものは

自分で言うには潔く

賢明な個を想馳せる。

上野千鶴子さんという社会学者のお陰かもしれません。

 

この「おひとりさま」

最近 身に染みるのです。

すこし思考停止状態です。

自由の不自由さ

人ってなんだかんだって言ったって

毎日生きてゆくことのこころの支えって

気にかけてもらっていることや

手間をかけてもらっていること

おなじくして

気にかかるひとがいることや

誰かのために手間をかけること

そんなことに

馴染みながら暮らしている。

 

でもね

いつかは みんな「おひとりさま」

あれ?これって上野千鶴子さんの本 (出版社 青灯社)のタイトルですよね。

 

人生には何度か卒業のような節目がやって来るのだと思います。

一生のうち何回卒業するかはひとそれぞれで

それは精神の成長へ繫がるものだと思います。

 

ふと 母のことを思い出した。

父が他界したとき

母は60歳

長女の私が家を出て

それから妹の結婚

母は65歳でひとり暮らしとなった。

 

母のあの頃の気持ち

今になってわかる気がする。

 

私はあの頃の母よりまだ若い

しかし

十二分に身に染みているではないか。

 

そう さみしいのだ。

 

あの頃の母は猛烈にさみしかったであろう。

 

仕事と趣味へ一生懸命に時間を費やしていた

そんな母のことしか見えていなかった。

 

揺らぎ

 

母はこの内的作業と外的作業を揺らぎながら

自分を保ち生きていたのだと

 

母が他界してもうすぐ3年になるこの秋に

今は亡き母をとても近くに感じた今日でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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小寒・しょうかんの頃を過ぎました。

二十四節気ではこれから節分までの期間を「寒」といい

寒さはこれからが本番となります。

2019年 新しい年を迎えました。

こころdeらぼも始動しております。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

本日も数本のお電話をいただきました。

電話でのお問い合わせに

カウンセリング中や移動中は出れないことがございます。

留守番電話に簡単で結構ですので

メッセージを残して置いていただけますと

こちらから折り返しお電話させていただきます。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

寒さ本番 暖かくしてお過ごしくださいませ

こころdeらぼ

 

 

 

 

 

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私のこと 来年に向けて

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来年もう一年 グリーフケア研究所で研鑽を積む運びとなりました。

昨日諸々の手続きのため二駅先まで自転車を走らせて

郵便局や銀行の窓口へ 用事を済ませてその帰り道。

花屋さんの店先に色とりどりの綺麗な鉢植えが並んでいました。

ちょっと自転車をとめて・・・そのなかで一番際立つグラデーションを放つ

シクラメンと目が合いました。

決めた!

来年は国家試験への準備も進めながら

心理職としてより一層

クライアントに役立つカウンセリングを模索してゆきます。

そして

こころdeらぼ勉強会もみなさんと一緒に充実させていきたいと思います。

 

そんな思いを胸に

10年前の私に声をかけてやろうと思いました。

「だいじょうぶ あなたはひとりじゃない」

 

さて これから

来年勉強会の企画打ち合わせを兼ねた忘年会です。

ちょっといってきます。

 

 

 

 

 

 

 

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3連休はなにしてますか。

IMG_7930_R15日はバッティングセンターで100球ほど打ってきました!

日曜日ソフトボールの試合が予定されていたのですが夜中の雨でグランドが整わず中止になります。残念です。午後は約束していた友人と会い夜遅くまでワイワイと一緒に過ごしました。

そして今朝 上智大学グリーフケア研究所人材養成講座グリーフケア援助演習Ⅱ 夏休み中の課題レポートが遂に完成。

完成したレポートは愛おしいほどの仕上がりとなりました。

レポートとともに過ごしたといっても過言ではない今年の夏。

9月ももうあと少しになったなぁ。

ふと思いつき ひとり京都まで出かけることにしました。

大谷本廟まで。父と母に会いに。IMG_7924_R

母の納骨以来初めてのお参り。

IMG_7928_Rその足で清水寺ふもとまで散策

綺麗に咲く彼岸花をみつけました。

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舌切り茶屋

 

 

こころが動いた私。

いろんなひとのこと想いながら

自分のこと想いながら

歩いてきました。

それから坂を下りて五条坂の交差点

はい。いつものおうどん屋さん

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ごちそう様でした。

いってよかった。

さぁ。明日からまたはじめましょ。

 

あなたは連休なにしてましたか。

 

 

 

 

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私の夏休み

IMG_7676_R昨年から学びに通う上智大学グリーフケア研究所は夏休みです。

いつもなら中津にある大阪のサテライトへ通っている時間帯

今日は自宅にて過ごしています。

これから2か月間の夏季休暇が始まります。

なんだかたっぷりありそうな感じがしますが

課題レポートというなかなか手強いものが用意されていて

わーい!わーい!と来る夏休みを手放しに喜んでいるのも束の間

課題に向けて そろそろテーマ選びや

自分と向きあう作業の時間づくりが気になりだしています。

講師を務めます専門学校の分科会や今月開催【いのちカフェ】

今年の8月は熱く燃えるような時が流れてゆく予感がしています。

 

※こころdeらぼの夏季休暇は8月12日~15日まで

メールへのご返信はできる限り対応いたします。

 

 

写真は出張カウンセリングの帰り道

見上げた夕方の空

未だ見ぬ世界へ美しくとても美しく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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【運命】という言葉を使ったことありますか。

20160803_221509_R先日、たいせつにしています食事会でのこと。

「これも運命と思っておくわ。」

私は衝撃を受けた。

目の前にいる20代の女性から放たれた【運命】という言葉。

どうしてそんなこと言えるのですか。どうして受け流すことできるのですか。

と私のこころのポケットに入れて持ち帰りました。

 

【運命】ウィッキペディアで検索してしまいました。

『人の意思をこえて幸・不幸を与える力、元から定められている巡りあわせ。人生は天の命によって定められているとする思想に基づいて考えられている、ひとの意思をこえて身のうえに起きる禍福』

そして私も考えました。

【運命】と潔くそして力まず向き合う姿勢

私はたくさんの理由を探して、たくさんの正当性を唱えて

自分は間違っていないんだ。と言い聞かす作業をしていたことを思い起こした。

正直この作業に疲れていたし限界のようなものを感じていました。

しかし 【運命】とは

命という尊いものをありがたくたいせつに想う気持ちから

おのずと切り開かれてゆくのかもしれないと。

運命って自分で築いてゆくものなんだと。

彼女の言葉にはその全てが含まれているように感じました。

その放つものに私は衝撃を受けたのです。

命の不思議をいつも想っている私ですが

身に降りかかるどうしようもない出来事に対して限界さえ感じていた

私の主観を超えた貴重な出会いでした。

実際に対話から感じ取れるものというのは

ものすごいちからをもっている。

 

ここまで記して 抽象的やなぁと思いました。

あなたは【運命】ってどんな風に想い使っていましたか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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氏神さまと伊勢神宮

IMG_6700_R今年の始まりは元旦の氏神さまへのお参りから始まりました。

今年はひとりで参拝。氏神さまにご挨拶して甘酒いただいてこよう!と出掛けました。年明けの午前1時の神社前。

たくさんの家族連れやカップルが参拝の長蛇の列を作っていました。ご挨拶にと出向いた気持ちは列の最後尾でしゅんとしぼんでしまい、あまりの寒さも相まって参拝はあきらめて帰ってきました。もちろん甘酒も。

それでも帰りの道は清々しく今年の始まりに感謝して新年初散歩を終えました。

IMG_6699_R今回のお休み中には伊勢神宮へ寄せていただきました。

お伊勢さんへは3年ぶりです。

前回は夏の終わりごろでした。

今回も五十鈴川は静かに迎えてくれていました。

5人の仲間と共に小雨降る中、小旅行気分を味わうことのできます

とってもいい時間を過ごすことができました。

IMG_6724_Rみんなで今年の干支の犬の置物をいただき

近鉄特急に乗って帰ってきました。

 

 

このブログをご覧のみなさま

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

さて 今から次回2月24日開催グリーフケア勉強会の打ち合わせに出掛けます。

次回は陶芸家の先生をお招きしての開催です。

場所はエルおおさか会議室をお借りしました。

定員15名です。

みなさんとの素敵なひとときを思いながら・・。

では行ってきます!

詳細はのちほど

こころdeらぼ 樋口愛峰

 

 

 

 

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私のこと

IMG_5997_Rこんなに美しい蝶

はじめて向かう待ち合わせの駅。

送迎バスの出発時刻にぎりぎり間に合わない!

一昨日は神戸のしあわせの村へ

研修合宿の1日目 3時間の貴重な時間をもらい、ワークショップをさせていただく。

さて別ルートを探し決め、顔を上げると美しい蝶。

そのまま有馬電鉄に揺られる。

ふたつ先の駅までのあいだ

もういっかい じぶんにかえる

 

参加される方々の顔を浮かべながら揺られてみた。

美しい蝶が導いてくれているよう。

さぁ。みんなのもとへいこう。

そう思いながら少しの間揺れてみた。

 

 

 

 

 

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私のこと 大槻ケンジ 弾き語りツアーに思う。

IMG_5233_R昨日ライブに出掛けた。

南堀江にあるknave  ネイヴっていうライブハウス。

このブログでご存知のかたもいらっしゃると思うのですが

わたし いま足の骨折でギプスしています。

骨折とわかった時点でライヴにいけないということとチケットを譲るということを重ねてお詫びの連絡をしました。

そうしますと、

座ってゆっくり聞けるライブやし、会場に降りる階段 おんぶしますよ。(笑)

と返信あり。この(笑)のゆるさに思わず

じゃあ行きます!と (笑 笑) (笑)2個で返信がえし。

この話のキモ

このたったひとつ ふたつのやりとりで

自分は迷惑をかけるんじゃあないか

こんな自分はいま楽しんでいる場合ではない

ライヴ会場までの移動が大変だ

松葉杖はじゃまだよね

などなどなど

じぶんを縛り付けるたくさんの考え、そう塊のようなものが

ぱーーーーーーっと溶けて開きました。

するとわたしというひとはこの瞬間からライブに行くために

行動と思考をシフトチェンジしだしたのです。

というわけで ライブ地下会場までの階段も

でかいサンダル履きの女はおんぶしてもらうこともなく、

流れにもそんなに逆らうこともなく無事会場いりできたのでした。

行く!とシフトチェンジしてからの自主練習の甲斐がありました。

 

なによりライヴは楽しかった!

大槻ケンジ 2017 弾き語りツアー 「いつか春の日のどっかの町へ」

わたしは大槻ケンジさんのライヴは初めてだったのですが

MC:歌のあいだのおしゃべりが物凄くおもしろい 大笑いした。

そして

~きみはそのさみしさにきづくため その場所にいるんだ

生きてるあいだに孤独と出会った君は・・~だったかな・・。

小説家でもある大槻さんの歌詞

いまのわたしのこころに響くものがありました。

 

今朝ベランダで洗濯物を干しながら

もうちょっとこのさみしさとつきあってみるかって思いました。

 

順調に回復しています。今週はギプス外します。

大阪天満橋カウンセリングルーム こころdeらぼでの仕事は

5月10日から始めています。

メールカウンセリング

ラジオ出演

そのほか 打ち合わせ等は順次携わっております。

引き続きよろしくお願いいたします。

 

 

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私のこと これもグリーフやな。

IMG_5195_Rこれもグリーフやな。

4月25日の出来事

ふらっとした。階段の踊り場に出た瞬間のこと。そして左足首をひねっている感覚と同時に次の踊り場までの5段ほどを

お尻から滑り落ちた。「やってもた」

そこから電車で約1時間 足引きずりながら帰宅。タクシーに乗ることも考えたけど

車道に出るより、わかってる駅のほうを選んだ。

このときは捻挫やと思いたかったし。そうやとも思ってた。

明日の仕事は午後からやし なんとかなる。

アイシング※患部を氷で20分冷やす。いったん止めてまた20分で様子見る。

して今日は休むことにした。

※幸い私の周りには専門家がいて ちょっと仕事の段取りに気が要って身体にたいして疎かになりがちなところを的確に指示してもらえた。

あわよくば・・。明日の仕事へ行く前にテーピング※してもらえるとなんとかなると。

「当分安静」と聞きなれた言葉をもらい、レントゲンは撮りに行くようにすすめられた。

さてここまではラインや写メや電話を駆使すればなんとかなるんですよね。

こころのなかはなんとかなってと願いながら・・。

経験の最悪パターンを思い出し、気を紛らす作戦か?

ソフトの時もかなりいろいろやってるけど次の日歩ける!歩ける!

多少の痛いのは我慢できるし、そうや肋骨折れたときも寝起きはきついけど起きるとなんとかなってコルセットして仕事した。仕事できた。できる。できる。

それよりも最近 駅の階段おりるとき駅だけちがう、階段おりるときふらっとしそうで

ゆっくり降りていた。以前のようにタッタッタって降りてない私。

季節のせいにしたくないけど気圧の加減はあると思う。

それと最近どんどん足に合う靴が減っていく。

この日履いていた靴もたくさん歩くのを想定してぺったんこのバレーシューズ。

ただひとつ もうひとつの幅広のモカシンと出掛けに迷った私。

幅広モカシンにすればよかった。バレーシューズの足先の丸みはあたしの足のセルフタイマー5時間くらいはわかってたけど 可愛いから選んでしまった。あほや。

案の定 タイマー点滅してたなぁ。座る機会と歩く機会と交互にごまかしながら、もうこの靴は遠出には2度と履かないとこころに決めながら。

いっぱいからだのこと考えてる気になっていた。

今日はシャワーにした※患部は温めないほうがいいので

「とりあえず寝よっと」

横になってみた。足を高くして※心臓より高い位置に足があるほうがよい

痛いからどう身体をおさめていいかいろいろ試す。

シムスの体位※をやってみた。これや。いつのまにか寝ていた。さすがわたし。

朝が来た。

あれっ。

歩かれへん。

これってなに?

どないしょう。

足 昨日より腫れてる。

トイレいかなあかん。

昼までになんとかせなあかん。

救急車?

あかん。どの病院連れていかれるかわからん。

いつもの整形外科や。 家から一番近い!

えっ?今日、雨?

とりあえず 膝立ちできることに気づきトイレへ行きました。

トイレに手すりがついていたということに今更ながら感激しました。

そしてこんなとき

あんな近くの病院へすらひとりでは行けないことに愕然としました。

なんとか気をとりなおして仕事へのお断りの連絡をさせていただきました。

午後の診察なら連れて行ってもらえることがわかりいざ!

「どうやって病院までいこ?」

「戦争映画のやつみたいにするねん。」

「えっ?匍匐前進?」

「ちがうやん 肩に手回すやつ。」そらそうや。ちょっと笑えた。

笑えたのも一瞬。すぐ気つく。これでは診察時間に間に合わん。

自転車の荷台とケンケンでなんとか到着。車の運転はよーせんかった。

今日中に連れて行ってもらえてほんと有難いと思いました。

IMG_5214_Rケンケンで受付に向かうと車いすを用意してくれました。はじめてです。車いす。とっても楽で便利です。でもすこしの振動にも響くんですね。

立方骨骨折

ギプスの説明を看護師さんから丁寧に受ける。

今夜 腫れが酷くなり痛みで我慢できなかった場合の項を看護師さんが読み上げられたとき 「えっ まだこれ以上痛くなることあるんですか?」と口をはさんでしまいました。

今からその場合を説明しますからね。と看護師さん

「医院のお隣が先生の自宅です。その場合は夜中でもピンポンしてください。でもその場合だけですよ。」

「ピンポーンだけしてダッシュとか?」

「それはしないでくださいね。」

すると受付内の看護師さんが

「ダッシュできないし」笑

調子に乗り「ピンポン松葉杖や!」とわたし。笑

院長も待合にいらしたお母さんと小学生の男子もちょっと笑ってた。

帰りはこれまたはじめての松葉杖と自転車の荷台の助けを借り

無事帰宅できました。    痛み止め等薬は処方されてません。

つづく

 

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私のこと

FullSizeRender_Rシーバイ・クロエのロングワンピース

一度は出版記念の会、2度目はこころdeらぼの勉強会

2度着てみたけれどどうも着心地が悪い。

ウエストでブラウジングするがどうももたつく感じ。

今年に入ってリフォームに出してみた。

ブラウスとスカートにしたのだ。

出来上がりを楽しみに、予定の日に引き取りにゆく。

そのままクローゼットに・・。

先日からいろいろ整理を始めていてクローゼットの洋服もそのひとつ。

いろいろとコーディネートしながら、着なくなった洋服とお別れするなかで

リフォームから帰ってきたスカートをちょっと穿いてみよう思いつく。

えっーーーーっ。ウエストキツイ!!

ゴム余裕ないです!!

なぜ仕上がったときに確認しなかったのだろうか。

お願いするときウエスト測ってもらったのにな・・。

 

いま 自分の詰めの甘さを突き付けられる出来事が重なっている。

起こることは必然だけれど

あとすこし集中力があれば回避できたと思う、ようなことたち。

楽天家な自分は私の好きなところだがいまは笑い飛ばせない。

自分という人間がよくみえる。

 

同時にこれは成長の兆しでもある。

自分にとって必要なことが見えだしてきているのも確かなのだ。

今日はいくつかの予定をキャンセルしてパソコンのカスタマイズに集中しました。

 

 

 

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『仲良し時間』ってご存知ですか?

20170107_133230母の入院する緩和病棟へ

通うようになって4か月になるかな。

10月開催のグリーフケアde勉強会の日には始まりの挨拶で吐血して緊急入院した母の近況をお話しさせていただき、この日が無事開催できました奇跡を感謝の思いとともにお伝えしたのをリアルに聞いてくださっていた参加者のかたもいらっしゃると思います。

お世話になっている病院は癌に対しての積極的治療そして延命治療をしないという約束のもと母を預けています。

高齢出産で生まれた私と妹。

私の高校進学と同時に入院しそのまま入院先から帰らぬまま旅立った父。

私には4歳下の妹がいます。

お母さんの口癖ってなにを思い浮かばれますか?

『きょうだいなかよくしなさい。』なんですよね。私は。

これがまた・・ずーーーーっと違和感あって、言われたくもないし、

実際・・・関係は・・・でもべつにいいかって思っていた。

腹立たしさを覚えるくらいなぜそんなに伝えるんだろうか?と母には思っていた。

今日は私が病院へ行く日。

~入れ歯の具合が悪いので看護士さんに言われたポリグリップ、買って持ってゆきますね。入れ歯の調整とかゆーてはったけど、お母さん 瘦せたから入れ歯合わなくなったんやわ。~

~ありがとう。月曜日は私行けるから。~

今は毎日のように妹とラインで交わす母のこと。

 

旅立つ前にひとはその生きざまをもって

遺すものがある。

そのひとにとってそれはとても大切なもの。

生きてきたすべて

心残りがあると・・・

旅立てないのです。

奇跡の連続の様にその力は働き

旅立つ人の思いを終結する。

私は母がみた娘に育ったのでしょうか

あなたの産んだ娘たちは今 あなたの目にどう映っていますか

そして今、母が一日でも生きてくれることで

私と妹はより強く深く関わりあえるということを感じ

母というひとは私と妹を自分の命のようにたいせつにおもって

生きてきたんやなぁと。気づいてしまいました。

ちゃんと思えた。

まだ早いわ。

でも

お母さんありがとう。

練習しとこ。

明日言えるかな。

『仲良し時間』ってほんまにあったんや。

 

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ここはひとつ、自分信じて前を向く!反省のブログ

20151215_15225110月10日の大阪は秋晴れ

こりゃ散歩に出かけなきゃのその前に・・・

こんにちは 心理カウンセラーのひぐち愛峰です。

前回のブログから10日が過ぎています。

私は何をしてこの10日生きていたのか?!  反省のブログです。

ここ数年わたしは「怒り・いらいら」とは無縁に暮らしていました。と言いますか、 「怒り・いらいら」と関わらない自分の生き方を見つけた。のです。

そう見つけ、ひとつずつひとつずつ問題を客観視することに集中し

時に信頼のおける友人に時に専門家にアドバイスをいただき

私の前に降りかかることと対峙してきました。

すこし極端な表現ですが、売られた喧嘩は買わなければ自分が廃るという考えで行動していた自分、また自分の能力のなさが問題を招いているのかもしれないという自信のなさとただ関わることで責任を取っていると思いたかった自分。責任てなんや?!ってこころで叫び続けていた自分。誰のせいにもできない自分。でもさらっと責任を全部丸投げしてくるひとが世の中にはいるということを知った自分。人のせいにしてしか自分の存在意義を認められないような人がやっぱりいるんやなぁと知った自分。

このような仁義なき戦いを生きていた。もうずいぶん前の話です・・・ね。

今の自分は全く違うのです。

それは「怒り・いらいら」と関わらない自分の生き方を見つけたからです。

「怒り」ってしんどいですよ。

感情にいい悪いはないというのはウソです。 「怒り」は身体に悪いですよ。

はい。一旦自分にもどりましょう。

それでもそれでも久しぶりに怒髪天を衝く場面に遭遇してしまった今日この頃。

反省です。「怒り」ってしまってるやないですか、わたし。

はい。自分にもどりましょう。

訪問介護が始まってます。

ひとこと言うとこ。

自分が勝手に縛られ囚われている価値観で判断し、 さもそれが正しいかのような話は反応してしまいます。自分の「怒り」をすり替えて直接的に物言われると反応してしまいます。

「怒り」は視野を狭くするよ。「怒り」の状態は判断なんてできないよ。

家族と自分をちゃんと分離して関わろうよ。

つぶれちゃうよ。だいじなもの見失うよ。

とても単純なこと。

そしてこれは願う。 専門職で関わっておられる方は振り回されないでください。

第三者機関という立場をはたらかせてください。

家族と関わるということ。

このような感情論で展開されていく。

在宅訪問介護。

こんな私のときに冷静さが家族を余計混乱させるのか?

さて次はどんなキャラクターでいきましょかね?ちょっと笑いが必要かな?

顔晴れわたし。今こそ笑顔や!

そのままでいく。

 

ではでは

今月から週2日介護デーとなりますのでこころdeらぼも日程の調整してゆきたいと思います。

こころdeらぼ 心理カウンセリングのお問合せはhiguchi@cocorodelabo.comこちらか

 

 

 

 

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母の日の由来

毎年5月の第2日曜日 母の日です

このブログをお読みくださっている貴方ならもうご存知かと思います

私はあるときからお正月 誕生日 ゴールデンウィーク お盆休み

クリスマス バレンタイン

そして父の日 母の日をやり過ごすという暮らしをしてきました

もう9年になります 積極的に関わる気持ちに今でもなれないのはほんとうです

ですが9年の暮らしのなかで私のこれらの日々の過ごし方というのが出来てきて

友人や子供たちと過ごしたりもちろんお祝いをする日もあります

ただ価値観はまったく変わりました

そんなやり過ごしの日々のなかで

これらの国民的行事とでもいいましょうか

由来を調べようと思いついたのは数年前

グリーフケアのことを学びだしてからです

それまでは例えば母の日

この日にはなにかを贈らなくっちゃっていう嫁の立場や娘としての慣習への義務感が

正直気持ちのほとんどを占めていたように思う

変わるなんて思いもしなかったたくさんの関係や環境が変わってしまい

慣習さえも滞るようになります 同じ母の日がまったく違う日になりました

私の暮らしの中で母の日の思い出が重くのしかかってくるのです

切り離すことも忘れることもなかったことにもできなくて

そんなころグリーフケアと出会いました

感謝の意味がわかっていなかったのもほんとうです

 

 

以下は母の日の由来で検索しwikipediaより転載します

アイルランドとイギリス[編集]

マザリングサンデイ」は移動祝日で、キリスト教暦のレント(四旬節)期間の第4日曜日(復活祭の3週間前)に祝われる。17世紀に始まったとされ、奉公中の子供が教会で母親と面会するなどの行事が行われた。

アメリカ[編集]

1916年ノーザン・パシフィック鉄道による母の日のポストカード

アメリカでは南北戦争終結直後の1870年、女性参政権運動家ジュリア・ウォード・ハウが、夫や子どもを戦場に送るのを今後絶対に拒否しようと立ち上がり「母の日宣言」(Mother’s Day Proclamation)を発した。ハウの「母の日」は、南北戦争中にウェストバージニア州で、「母の仕事の日」(Mother’s Work Days)と称して、敵味方問わず負傷兵の衛生状態を改善するために地域の女性を結束させたアン・ジャービス(Ann Jarvis)の活動にヒントを得たものだが、結局普及することはなかった。

ジャービスの死後2年経った1907年5月12日、その娘のアンナ(Anna Jarvis)は、亡き母親を偲び、母が日曜学校の教師をしていた教会で記念会をもち、白いカーネーションを贈った。これが日本やアメリカでの母の日の起源とされる[1]

アンナの母への想いに感動した人々は、母をおぼえる日の大切さを認識し、1908年5月10日に同教会に470人の生徒と母親達が集まり最初の「母の日」を祝った。アンナは参加者全員に、母親が好きであった白いカーネーションを手渡した。このことから、白いカーネーションが母の日のシンボルとなった。アンナ・ジャービスは友人たちに「母の日」を作って国中で祝うことを提案。

1914年に「母の日」はアメリカの記念日になり、5月の第2日曜日と定められた[2]

オーストラリア[編集]

オーストラリアでは、母の日は5月の第2日曜日に祝われる。 母の日に贈りものを贈る習慣は1924年シドニーLeichhardtに住むジャネット・ヘイデン(Mrs Janet Heyden)によってはじめられた[3]

彼女はニューイントン(Newington, Victoria)の州立女性老人ホームを訪ねた際に多くの孤独で”忘れられた母”たちに出会い、その女性たちをよろこばせるために地元の学校や企業の協力をとりつけ、贈り物を贈ることにした。それから毎年、彼女は贈り物の習慣の規模を少しずつ大きくして、地元企業や市長にも協力を取り付けた。以来、母の日の贈り物の習慣は商業化されていった。

伝統的に母の日にはクリサンセマム(菊の花)を贈る習慣になってる。その理由は、ちょうど母の日の季節(オーストラリアでは)に花を咲かせ見頃になるため、 また、クリサンセマム(chrysanthemum, キク属)が一般的に語尾部をとって通称 “mum”(マム)と呼ばれ、ちょうど “mum“(おかあさん)とかさなるため[要出典]。 近年では、母の日に男性は(上着ジャケットの)折り襟にキクの生花を挿してピンで留めたり、菊花を模した襟章lapel pin)をつける場合もある[要出典]

日本[編集]

母の日ギフト用にディスプレイされたカーネーションのさまざまな品種(2009年 東京銀座にて)

1913年に青山学院で、母の日礼拝が行われた。アンナ・ジャービスから青山学院にメッセージが届き、当時青山学院にいた女性宣教師たちの熱心な働きかけで、日本で「母の日」が定着していくきっかけとなったとされる。

大日本連合婦人会1931年昭和6年)に結成された。その際、同組織は皇后香淳皇后)の誕生日である3月6日地久節)を「母の日」とした[1][4]が、普及しなかった。

1937年(昭和12年)5月8日に、第1回「森永母の日大会」(森永母を讃へる会主催、母の日中央委員会協賛)が豊島園で開催された[5]。その後、1949年(昭和24年)ごろからアメリカに倣って5月の第2日曜日に行われるようになった。

母の日には、カーネーションなどを贈るのが一般的である。

なお、あまり知られていないが、5月5日のこどもの日は、祝日法2条によると「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝すること」が趣旨とされている。

 

あなたは母の日をどう過ごされますか

母の日とどのように関わりますか

あなたにとって母の日って・・・

 

いろんな母の日の過ごし方があっていいのです

 

わたしはそう思います

 

 

 

 

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